その後の気動車たち

1.省力化、省力化・・・

 最強の気動車として登場した181系、その後のトラブルで改良型の登場が待たれたものの、当時の技術では同一性能を維持したまま抜本的な解決策を導くことはできませんでした。 しかも折からの国鉄経営の悪化、労使関係の破綻、経営、労働意欲の喪失に始まり、オイルショックも加わりスピードアップへの内外からの批判が折り重なり、高性能気動車は日の光を見ることはなくなりました。

 180台の番号を持った気動車として北海道向けに183系が登場しました。しかしこれは老朽化した82系の更新という意味以上のものはありませんでした。
 下の図は
181系6M82系5M2m183系4M2mの速度出力特性曲線です。

 目を覆いたくなるような惨状です。 440馬力(最大500馬力)に出力を低くした上に電源エンジン搭載車の走行機関は220馬力(最大250馬力)1台という悲惨さ、重量増加もあって加速性能は82系とほとんど変わりなく、181系と比べようもありません。 この当時の車両で「北斗」のシミュレーションをやってみましょう。

181系は実際に営業列車として存在したことのあるもっとも性能の低い編成(6M1T)ですが、平坦線の同区間であれば120km/h運転の威力で82系に比べ大幅な時間短縮を達成しています。 一方、初代183系は最高速度が82系と同じではほとんど効果がなかったのです。
 183系の減速比を変更して110km/h対応、120km/h対応として走らせて見たのが次の図です。 列車2が120km/h対応ですが、110km/hに対して2分しか短縮できません。 結局120km/h運転を行っても緩い登り勾配でかえって運転速度が低下し、120km/hで短縮した時間を食いつぶすことになるのです。 いかに同区間が平坦線主体とはいえ、初代183系は120km/h運転するには出力不足であったわけです。

 特急でもこの調子です。 急行では新系列の専用車両は作られず、結局キハ65で58系編成を強引に引っ張り同時に冷房するという応急策以上の改善はありませんでした。

 唯一、快速用としてキハ66・67が新製されました。 これは基本的に他車と混結せずに運転され、あたかも91系の生まれ変わりのようなものでしたが、性能的にはやはり現実的な選択を行った車両でした。下の図は91系8M1T66・67系4M58・28系3M3mとの比較です。

 440馬力にパワーダウン(30分定格500馬力2000RPM)した弱点は設計速度を低くし、付随車の連結をなくすことで補い、辛うじて91系についていく状態でした。 しかし、従来の気動車から比べるとかなり高性能になり、オールM編成のため183系のような悲壮さも無く、それなりに軽快に走りました。

 普通用の気動車にいたっては悲惨でした。

キハ40、47が量産されましたが、220馬力という非力さは旧系列の2エンジン車編成との同等のダイヤすら組めず、183とともに後々に持て余す存在となり、後年エンジン換装という屈辱を味わうこととなりました。


(YK氏のご好意による)

2.芽生える鼓動

 高性能な気動車が登場しないことは181に日本一の高性能気動車としての地位を約束するものでしたが、徐々に老朽化する181系もそろそろ本来の意味での後継者を必要とする時期になってきました。

 一方世間では国鉄改革が叫ばれ、民営化の恐怖の影が忍び寄り、一方それは新たな厳しい世界にどう立ち向かうか真剣に考える貴重なチャンスでもあったのです。

 再びスピードに注目が集まりました。 新幹線だけでない、在来線も含めた総合的な高速鉄道網の構築という一昔前そのままのスピードアップ意欲が満ち溢れるようになりました。

 分割民営化された場合、四国と北海道は深刻でした。新幹線はもちろん、ドル箱路線は全然無く、四国に至っては全線非電化という状況。 北海道もほとんど非電化。 否が応でも高速気動車への期待が高まっていました。


(YK氏のご好意による)

 まず登場したのが183系500番台。 初代の反省から将来を見込み、120km/h運転対応の設計とし、出力も連続定格で550馬力に向上、定格を超えたエンジン使用はやめて安定性を重視しました。 次に四国向け185系気動車。 こちらは財政的により厳しく高速運転も期待できない地域との判断から110km/h対応で、低価格化に徹し旧式気動車の部品を転用するなどしたセコハン気動車でしたが、軽量化を進め、とりあえずは500馬力を歌っい性能低下を避けようとしました。
 下の図は
181系8M185系3M1m183系4M2mの加速力曲線です。


(加藤泰志氏のご好意による)

181系にはまだまだ及びませんが、250馬力車が入っている割には健闘しています。 しかし、185系はその後の新世代気動車と同様、補機駆動用動力を走行用機関から供給する方式のため、やはり性能低下は否めません。


(YK
氏のご好意による)

 183系500番代の登場でやっと181系にまともに勝負を挑めそうな後継者が誕生したのです。 再び「北斗」でシミュレーションです。

120km/h運転に対応した183系500番台の登場で181系の付随車入り編成とほぼ同等の運転が可能となりました。
上記のキハ391と381系電車は分機器直線側通過速度は各車の最高運転速度に向上して計算されています。 直線区間の多い同区間だけに130km/h運転の効果は大きく、曲線通過速度向上だけでなく最高速度向上が可能な車両が切望されていた所以です。

 その後、85系や2000系など新世代気動車と呼ばれるグループが登場しますが、それまでは実質的に181系が気動車1のパワーを誇っていました。

高速化への野心

 広大な大地に平坦で長大な直線に恵まれた北海道、電気運転が望めない中で野心的な試験が行われました。 なんと、気動車で速度向上試験が行われたのです。 気動車による本格的な試験は我が国初で、183系の改造車を用いて152km/hという、狭軌内燃車両最速の記録を樹立しました。 キハ391でも減速比の関係で140km/h程度しか出しておらず、文字通り、内燃車両日本一の記録となったのです。 この試験データはその後130km/h対応の183系へと受け継がれ、機関回転数は定格の2000rpmに抑えたものの、減速比は高速仕様のまま営業車両に採用されました。

 この図の青色の加速力曲線が660馬力の130km/h対応の183系NN 5M2m編成です。
181系最強編成を変速段でほぼ凌駕し、直結後は速度種別A25程度と加速力は低迷しますがそのままじりじりと150km/h以上まで伸びています。
33‰均衡速度は181系を3km/h近く上回っています。 20‰では181系と同等です。
 さすがに直結後は高速設定の減速比の影響で181系にかなり離されますが、150km/h運転を行っても実用的な性能を持っています。
 ここに至って初めて181系は本格的な性能向上を目指した本当の意味でのライバルを気動車に見つけたのかもしれません。 660馬力になっても183系は快調で、30分定格590馬力から連続定格660馬力への進化は大きなものがあり、その間の同系列のエンジンの進歩がうかがえます。 もちろん、もし当時、181系を勾配らしい勾配がほとんど無い「北斗」に投入して高速運転させていたら、排気系の過熱も無く快調に営業したはずで、トラブル続きの気動車というレッテルを貼られることは無かったかもしれません。

 この183系と181系を函館・札幌間に走らせて見ましょう。 条件は181系120km/h運転、183系130km/h運転、分機器制限は直線100km/h時代を想定し、各車とも曲線通過速度は高性能優等列車の本則どおりとします。

 130km/hでがんばる183系も100km/hの分機器制限を設けた場合、常用速度域での加速性能の低さが災いしてかろうじて181系に勝るという結果です。
 では181系を改造して130km/h対応にしたらどうなるでしょうか。 減速比を2.262とすることで車輪最大磨耗時に130km/h出せるようになります。 この車両を使って計算してみましょう。なお、今回は両者とも分岐器通過を130km/hとしています。

この場合、高速での加速性のがよい181系のほうが速くなります。 183系は130km/h運転には減速比が低すぎ、かえって不利ということになります。
 では150km/h運転させるとどうなるでしょうか。 分岐器制限130km/hのままでも何箇所か150km/hまで加速可能で、3分の速達効果があるようです。

しかし、時代はさらに速い気動車を要求していました。 直線での速度向上だけでは大した効果が得られません。そうです、ガスタービンが果たせなかった振子気動車の時代がはじまろうとしていたのです。 エンジンもDML系列から完全に決別することとなるのです。

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