投稿者:びっくり3000
投稿時間:2004/12/29(Wed)10:43:17 はじめまして 管理人様 皆様
思い起せば、キハ181系にはいろいろ世話になったり、憧れていたりしました。古い話をいくつか。
その1 親戚が信州に点在していたのでキハ181系「しなの」が登場してからよく見たり、乗りました。最初に乗ったのは、長野〜木曽福島間でした。いつものキハ58急行との格段の加速の差、そしてモータのようなエンジン音にわくわくしました 。話は脱線しますが、当時はまだ篠ノ井線の客レはDD51に変わりましたが貨物レのほとんどはD51が最後の活躍をしていました。DD51はまだ無煙化のための充分な数はありませんでした。残念ながら登場時のキハ181系はエンジントラブルで松本までDD51重連に助けを求めることがたびたびありました。 すると、重量貨物レ用のDD51重連が「しなの」牽引に充当されるので、代わりにD51が重量貨物レや季節運転の急行に充当されるて思わぬ出会いがあり感動しました。キハ181系には不名誉な話題ですみません。しかし安定してからは、長野〜篠ノ井、松本〜洗馬、名古屋口ではあのターボ音を響かせているのを何度も見送りました。 回復運転は、かつての国鉄マン!は気合が入っていました。特に「しなの」は部分複線だらけで単線の方が多い線区を走っていましたし。またある日、名古屋〜木曽福島乗車でお盆の超満員の「しなの」のG車に乗りました。 デッキの立っている人たちが暑いのでしょうか通路のドアが開けはなされていてエンジン音の大きさにへきへきとして、食堂車に逃げていました。
その2 上野や、浦和付近で電車特急やEF57,EF56牽引の急行を見送っていると、合間に「つばさ」のキハ181もかっ飛ばしていました。一度、米沢までの往復に乗りました。食堂車や中間に連結されたキハ181の速度計に張り付いてばかりいたのでほとんど席にいませんでした。 運良く?往復とも7.8分の遅延で、北関東、南東北の重軌道をフル加速で回復運転していました。キハ181の速度計の目盛は120キロまでありました。その先127キロくらいの位置に指針のストッパーが付いていたのですが、往復ともに平坦や微勾配区間は加速した針がストッパーに張り付いてからなおも2分以上加速していました。時計の秒針を見ていたので本当です。 しかも、車両重量があるためか485系が派手に上下左右動があるのにピターッとした最高の乗り心地でした。無論、ターボ音を響かせ。
そんな思い入れがあるキハ181系にこのようなサイトがあったとは。音を聞かせていただき涙々です。昔懐かしい写真を添付させていただきます。すばらしーーーー。
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