最高時速85km/hの特急

1.120km/hよ、さらば

 故障に悩まされ、挙句に板谷峠では補機の手助けを再び仰ぐという屈辱を味わってしまい、花道とは行かなかったものの、キハ181系は東北本線で、そして山陽本線で120km/h運転の威力を見せ付け、つかの間とはいえ栄光の日を垣間見ることができました。
 しかし、前者は電化に追われ、後者は新幹線による運転区間短縮という悲運が待っていました。 既に気動車が走る幹線は無くなり、残るは地方のローカル幹線のみという状態になっていたのです。

 こうして181系は山陰と四国に追われ、そこは120km/h運転とは縁遠い、ひ弱な線路と曲線だらけのわびしいところでした。

 しかも本格的な峠越えは無く、曲線制限がきついため勾配の途中でノッチを戻さなければならない場面が多くなり、本来のパワーは持て余すようになっていたのです。 しかも折からの国鉄の後退でスピードアップは遠のき、181は変速6ノッチで86km/hまで思いっきり引っ張り豪快に直結で加速するという場面を見せることはあまりなくなっていったのです。

 下の図は予讃線でのシミュレーションです。 比較的直線が多いこのような区間でも最高速度は85km/hに制限されていました。

JR化後は最終的にこの区間で120km/h運転が実現し、110km/hしか出せない185系と差をつけることとなったのです。

2.伯備線

 ここも悲惨でした。 山陽本線である岡山ー倉敷間のわずか15.9km/hが120km/h運転というものの、残りは制限85km/h、山陰に出て95km/hになるものの曲線に阻まれ、60km/hそこそこの鈍足特急に甘んじなければなりませんでした。 石蟹ー井倉間の新線が開通しても最高速度は85km/hのまま、コンクリート枕木の近代的な軌道をだらだら走る181系はむなしさを漂わせているようでした。

3.四国

 ここも悲惨でした。 高松ー多度津は辛うじて最高95km/hでしたが、それ以外は85km/h、松山以南に至っては65km/hという悲惨さ。 181投入直後は比較的快速を誇ったものの、時代の流れとともにスピードはダウンし鈍足特急の仲間入り。 土讃線の25パーミルや南予の33パーミルがわずかに往年の活躍を髣髴させるのみでした。

4.山陰線

 徐々に82から置き換えられ、181の天下となりましたが、その走りは181には似つかわしくないものでした。 一部には直線の続く区間もあり、下の図のように加速性能の差から最高速度差を活かせる場面があちこちにありましたが、実際にその性能を発揮させるチャンスが訪れることはありませんでした。

唯一、はまかぜが姫路から山陽線を飛ばし、6M6T編成の電車を加速で抜いたり、つかの間の120km/h運転を見せてくたのが救いでした。

5.皮肉な結果

 これらの線区に生活の場を移して181系の悪口は減りました。 つまり故障がずっと減ったのです。 燃料噴射量過剰のばらつきを厳密に調整したり、保守検修現場の努力もありますが、フルノッチもあまり使用せずにゆとりで定時運転できるような特急では当然の結果だったのかもしれません。

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