120km/h運転の威力
1.屈辱のヨンサントオ
昭和43年10月のダイヤ改正で、全国の主要幹線は120km/h運転が可能となりました。特に東北線ではこれまで100km/h運転だった「はつかり」が常磐線経由を止めて電車化され120km/h運転となり、大幅なスピードアップを達成したのです。
上野ー黒磯間でシミュレートしてみましょう。
C62牽引の客車特急から大幅なスピードアップを達成した81系ですが、120km/h運転の特急電車の前では敵になりません。
山陽線ではどうでしょうか。新幹線が新大阪までしかなかった当時、山陽線は電車特急、電車急行の天下でしたが、九州方面や山陰方面からの長距離気動車優等列車が多数乗り入れていました。 下は広島−新大阪間の例です。
途中省略していますが、120km/h運転と100km/h運転の差は大きく、110km/h運転の寝台特急に遅れをとるような悲惨な状態でした。
こうしてヨンサントオ以降、気動車は平坦線でも電車に差をつけられるという屈辱を味わうようになったのです。
2.亜幹線向け強力型気動車
当時キハ181系はこう呼ばれ、非電化線区での期待は極めて大きく、多くの線区がその投入を待ち望んでいました。 電化までのつなぎではありましたが、まずは中央西線。
(SS氏のご好意による)
線形の関係で120km/h運転はほとんどできませんが、とりあえずは最高速度95km/hの特急「しなの」として181系はデビューしました。
6M3Tの最強編成には負けますが、6M6Tなら互角、82系となら13分の差をつけています。
運転曲線を見るとさすがに勾配では性能差があるのですが、電車の場合一定の速度で運転できる領域が限られており、登りで加速余力があると力行惰行を繰り返して速度超過を予防しなければなりません。一方、気動車は燃料噴射量制御のため、一定速度で走行できるので有利になります。この影響で平均速度が高くなるのです。
(SS氏のご好意による)
3.120km/h「つばさ」と「おき」
「つばさ」181系化に際し、33パーミル板谷峠単独登坂補機解消による長大化がとかく注目されましたが、もうひとつ、気動車が電車と同じ最高速度を久しぶりに取り戻したことも快挙でした。
(SS氏のご好意による)
「つばさ」を想定したシミュレーションでは下のようになります。
これは平坦の直線が多いため120km/h運転が威力を発揮し、互角の運転となります。実際のダイヤでも上野ー福島間の所要時分は485系8M4Tの最速「ひばり」と数分程度の差しかありませんでした。
その後、「つばさ」の間合い運用で「あおば」も登場、東北地区で活躍の場を広めました。
(SS氏のご好意による)
「つばさ」に続いて昭和46年、山陽伯備線経由の「おき」が登場しました。ここも平坦で直線が多く、軌道構造も強固。120km/h運転の見せ所。電化区間を電車に遜色なく走る気動車特急が立て続けにデビューしました。
山陽区間でのシミュレーションです。
こちらは電車が平坦線向けの編成のため、181系が勝っています。
当時、「おき」の速度種別はA29であったのに対し、電車特急はA22止まり。手書きで運転曲線を描いていた当時、これが気動車の加速かと担当者は驚いたと伝えられ、地方紙には「出雲市まで120km/h」という大きな見出しで紹介記事が掲載されたほどでした。